東日本大震災から学ぶ減災


ページ番号1010948  更新日 平成29年12月12日


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 宮城県七ヶ浜町は、南は太平洋に面し、北と東は松島湾と三方を海に囲まれた、町名のとおり7つの浜がある自然環境や景観に恵まれた人口約2万人のまちです。東日本大震災では、震度5強の揺れと最大12mの高さの津波に襲われ、死者94人、行方不明2人など甚大な被害を受けました。避難者は、最大6143人に上り、多くの人が避難所生活を送りました。
 春日井市では、平成23年度から、震災復興のため職員を派遣しており、これまでに9人が従事しています。今回はそのご縁から、当時の様子を自主防災会の会長をしていた鈴木享さんに伺いました。

3か月におよぶ避難生活を振り返って

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  花渕浜地区は、あの地震の揺れに多くの建物は耐えましたが、続く津波によって、多くの被害が出ました。
 平成15年に組織した自主防災会で、地域の実情に即した行動マニュアルを策定していて、年1回の避難訓練では、宮城県が想定した高さ3mの津波を避けるため、地区独自で定めた一時(いっとき)避難所に逃げることを決めていたので、ほとんどの住民は速やかに移動することができました。私は、一時避難所にて予想される津波の高さを聞き、ここにいては危ないと思い、避難者と高台に移り、間一髪助かりました。訓練のたびに避難住民と意見を述べる座談会を開催していたことが減災に結びついたと確信しています。
 指定避難所では、最大時で地区の住民の約6割が暮らしていました。当初予想を上回る人だったため、毛布も布団もなく、寒さに震えながら一夜を過ごしました。また、支援物資も十分とは言えなかったので、分配には気を使いました。1週間もすると食料などの物資は安定的に届くようになりましたが、薬や粉ミルクなどその人にとっての必要物資を入手するのには苦労しました。
 もともと自主防災組織は、「災害発生から24時間、地域住民の命を守る」ための組織でしたが、行政が混乱したままだったため、避難住民が全員仮設住宅に入るまでの3か月間、自分たちで生活を守る活動を継続しました。対策本部を設置し、町からの情報を掲示するとともに1日3回ミーティングを行い、役割と担当者を決めて、支援活動にあたりました。これにより住民の間で情報が共有でき、避難所にいる人も在宅避難者も互いに助け合うことができる体制が生まれました。ただ、当初本部体制づくりに人手の確保など苦労することも多く、普段から想定外の対応準備などを心掛けておくことが大事だと思いました。自宅の半径400mくらいの危険箇所を調査しておくことも災害時の減災につながると思います。やはり、「自分の命は自分で守る」意識を持つことが大事だと思います。


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